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博多駅前陥没事故、賞賛の理由

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福岡・博多駅前の道路が陥没して、一週間で復旧したニュースは、
日本の土木技術の高さと真面目さを世界に知らしめたらしい。

レバノンでは数年かかる」とか「モントリオールでは五年はかかる」など、
海外からの評価が高かったという。
事故後、情報を迅速に開示したと、市長の評価もあがったそうだ。

 

今回、報道の傾向がSNS含めて、「事故の責任者叩き」ではなく、
「事故後の迅速な対応賞賛」だったのは何故だろう。

この事故の原因だとされているのは、市営地下鉄・七隈線の延伸工事なのだから、
その長たる市長は叩かれはしても、褒められる必要などない。
自然災害に対する迅速な処理なら賞賛もありそうなものだが、
地下鉄工事が原因なら、人災だ。

しかも、この延伸工事は過去二回、陥没事故を起こしており、これで三度目。
前回の事故時も、原因をきちんと特定していなかったと言われている。

それなのに責任者が批判されず、バッシングが起きないのは、
死者もけが人も、一人もでなかったからでもあるが、
本当の理由は、今回の事故が「穴」にまつわる事故で、
復旧作業が、ただ「穴」を埋めるということだったからだ。

 

人間は本当に、「穴」を埋めることに興味を持っている。
食欲も性欲も、「穴」に関する欲だし、
ゴルフにしてもビリヤードにしても、「穴」を埋めることが娯楽になっている。

つまらない勉強に子どもを惹きつけるために、ドリルや問題集はすぐに問題を「穴埋め」にするし、
世界中の若者は自ら耳に「穴」を開け、それを塞ぐことをファッションとして楽しんでいる。

恋人を失ってぽっかり空いた心の「穴」を、新しい恋人で埋めようとすることもあるし、
仕事であけた「穴」は、必ず何かで埋め合わせしないといけない。


人は、「穴」をあけ、そして何かで埋めたいのだ。

「穴」はそのままにしておいてはならず、必ず、埋めるか、塞ぐかしなければならない。
「穴」があき、それを人が埋めようとする時、人は何かに夢中になっている。

今回、街の中心地に突如できた巨大な「穴」に博多の人々は興奮してツイートし、
その「穴埋め」のスピードに世界のメディアは驚嘆した。

もし、今回の事故が、ただの崩壊や倒壊だったら、多分、皆の興味は責任者探しと、
責任者バッシングになっていただろう。
世界的な報道も、九州最大都市の真ん中に穴をあけた体たらくを、
「日本技術に大きなキズ」と批判的に伝えたかもしれない。

「穴」だったからよかったのだ。
「穴」だったから、みんなで懸命に埋めることができ、
見ている人も怒らず、じっと見守っていられたのだ。

開けるべきは「穴」であり、塞ぐべきは「穴」だ。


今回、事故の原因とされている地下鉄・七隈線は、開通前から採算性を疑われていた路線で、

開通してみると、見事なくらい市民に利用されなかった。

今現在進行中の工事は、繁華街である天神までつながっているその七隈線を、
福岡の玄関口である博多駅まで伸ばすことで、利用客を増やそうとする計画だ。
しかし、その延伸工事で本当に利用客が増えるのか、採算が取れるのかは、
工事前からすでに結構疑われている。

そして、この事故。
「穴」を開けたことで企業に対して賠償を払わなければいけないし、
次の事故を防ぐためのボーリング調査も実施しなければいならない。

この地下鉄は、市営であり、余分に必要になった金はすべて税金でまかなわれいる。
この延伸工事の経費を回収できずに、地下鉄事業がさらに採算が取れなくなったとしても、
その赤字を「穴埋め」するのは、税金でしかない。

海外メディアが褒めてくれたとしても、ただ、街に「穴」があき、それを塞いだだけで、
マイナスがゼロに戻っただけなのだ。
決して、マイナスがプラスなったわけではない。

ただ、あの「穴埋め」で、福岡市民の心理に何を及ぼしたかは、誰にもわからない。
穴を埋めたことで、なんらかのプラスがあったのかもしれない。